2026年9月28日月曜日

ジャガイモ大丈夫か?いやダメだろう。

 

皆さんジャガイモ好きですか。😇

ポテトチップス

ポテトサラダ

蒸しいも

ジャガイモの味噌汁等々、どれも日本人の味覚に合っていて、日本の食卓には欠かせないジャガイモ料理ですが、危険が迫っているのはご存じでしょうか。

それも、また日本の(世界の)ジャイアン君の押し付けで生ジャガイモが日本に輸入されようとしています。


『へー、今までも輸入されていたのでは?』

『ジャガイモくらいいいのでは?』

と思っているあなた、日々のニュースでは語られていない大変な問題が潜んでいるのです。


詳しくはYouTube等で【ジャガイモ 輸入】や【ジャガイモ 危険】などの語句を入力し検索すると出てきますので、有識者の意見を聞いてもらいたいと思います。



で、要約すると、世界のジャイアン君の国のジャガイモはししとせんちゅうという病気があるらしく、10年くらいは土の中やジャガイモの中で死なないらしいです。

その、ししとせんちゅうの入った生ジャガイモが輸入され、国内で栽培用として、またスーパーで販売されそれを家庭菜園等で栽培を始めるとそこから爆発的に広がり、国産ジャガイモは壊滅的になる危険性が指摘されているのです。

今まで輸入されていたものは生ジャガイモとしてでなく、既に加熱をされたジャガイモが輸入されていたので、問題になっているししとせんちゅうの危険性は無かった訳です。


松本市くらいの都市規模では、コンポストで生ごみを処理している人や、庭先で家庭菜園を楽しんでいる方は多いですね。

ですので、仮に栽培用でホームセンター等での販売が禁止されたとしても、スーパーで野菜としての販売をされる限りそのジャガイモを種芋として使用する可能性がゼロではないので、専門家はその危険性を指摘するのです。



私が小学校の頃ですが、オレンジ牛肉の輸入自由化するという事がありました。

連日ニュースで報道されていた記憶があります。

実際に輸入されてどうなったか?

アメリカの広大な牧場で育てた方がコストは安い訳で、子供ながらにも食卓に牛肉が上がる日が増えた記憶があります。

そしてスーパーでは国産ミカンの割合はへり、国産牛肉の割合は大幅に減りました。



その後もジャイアン君は食品だけでなく、あれこれと日本への圧力を強めるのですが、それに対抗できない日本は同盟国といった生易しいものでなく、属国や植民地といった位置付けがしっくりくる感じです。


それだけでなく遥々海を渡って入ってくるジャイアン君の食料ですが、果たしてどれほどの安全性があるのでしょうか。


勿論安全でないものが入ってくるわけではありませんが、その安全性が都合のいいように変更されていたらどうでしょうジャイアン君の圧力で。

この辺もものの本によれば…、これ以上は申せませんが、そろそろ日本も食料・エネルギーを外国に頼ることなく生活するための方策を一人一人が考える時期に来ていると思っている今日この頃です。






2026年9月17日木曜日

時の移り変わり

 ちょっと前に聞いた元上司の訃報。

人伝に聞いたので亡くなってからの時間は大分経っていました。


10年位前に聞いた持病で長くはないのかなと思っていましたが、実際に訃報を聞くと複雑な思いです。


この元上司とは約4現場でお世話になり(約を付けるのは途中移動もあったため)、新人の私を一から鍛え上げてくれました。

30年以上も前の事なので理不尽でとても無理?という指示や要求もありましたが、要所要所で飲みに連れて行ってくれて大変可愛がってくれました。

そのオフタイムの楽しい思い出は今も忘れません。


現場管理者としての心得や実務もそうですが、一番の教えは建設仕様書の読み方を教えていただいたこと。


勿論仕様書だけでなくより細かい管理指針についても読み方や意味を丁寧に教えていただきました。

上記は建設現場や土木の現場でも必携の図書で、特にRC造の鉄筋についてはこれらと睨めっこしながら管理を行うのです。(構造の部分なので重要)




そうやって作り上げた物件に昨日所用で東京へ行ったついでに見てきました。



場所は埼玉県某所の下水道の中継ポンプ場。

下水道の中継ポンプ場とは下水道の勾配で流れついた管を再び高い位置へ持ち上げるための施設です。

終末処理場に到達するまでに数か所あるのが普通です。
勾配で下がっていったのを上に上げて、また下がっていったものを上げるのを繰り返すのです。


河川敷内に位置する物件でしたので地下工事は結構大変で、止水工事に大変難儀しました。

地下部も深さ(高さ)があるのですが、地上部もそれなりに高さがあり、マンション建設とは違った大変さがありました。

その後の現場の都合もあり、確か最後まではいれなかったような気がしましたが、それでも建物を見れば一瞬で当時の思い出が蘇ります。


あんなことがあったな~
こんなこともあった~
もう30年も前のことか~


その後街中を通って帰路についたのですが、当時と違い大きく発展した街になっていました。
当時はホント何にもない小さな町だったのです。

それもこれも、このポンプ場や下水道あってこその発展です。



あの頃の新しく作る時代とは違って今は維持管理の時代になりました。

しかし、建設土木分野への若い人たちの流入は少なく、外国の言葉が増えてきたという報告もあります。


この20年から30年で建設業の世界も様変わり。


切ない部分と懐かしさが入り混じっていますが、あの上司が逝くというのも時の移り変わりも早いな~、浜ちゃんありがとう~と感謝した日でした。

 




2026年9月10日木曜日

大阪を楽しむには

 

先日、大阪へ出張へ行ってきました。

場所は大阪市生野区。


関東育ちで学校も今までの職場も関東の人間からすると、正直なところ関西から西は別世界みたいな感じです。

最近は大阪芸人が増えてきたから大阪弁に慣れてきましたが、ちょっと前まで違和感や嫌悪感があった人も多かったのではないかと思います。



修学旅行はお決まりの京都奈良でしたが、それ以外で関西方面へ行ったことは・・・2.3回くらい、それも小さいころや個人的な京都奈良観光が中心だったので、大阪にはこれといった印象がないままこの歳までなってしまいました。


といって大阪に興味が無いという訳ではなく、松本へ来てからは関東からは行き難い岐阜(高山)や石川富山の北陸へ行くのが40代まで旅履歴。


そしてここ最近は教養もつき日本史を俯瞰してみた時に、やはり日本の中心は関東ではなく関西であったことに気付き、そこから大阪への興味がどんどん湧いてきました。


そして大阪を色々と調べていくと…


鉄砲が入ってきたときに堺の鍛冶職人が鉄砲を分解し量産をしたとか

江戸と上方落語の違い

うどんそばの出汁の違い

食堂のレベルの違い

船場文化

戦後に成長した大企業は関西が多い

ユーチューバーは関西人が多い

等々、江戸に幕府が270年あったからと言って、関東生まれが思っているほど実は東京が日本の中心ではないのではないかと思い始める訳です。


勿論、遥か昔から関東以北にも人は住んでいたし、縄文時代の遺跡もありますので、それなりの文化文明はあったのでしょうが、やはり天皇が京都に長い間いたことで洗練された文化が築き上げられ、距離的にも近い大阪にも少なからず影響はあったと考えるのが普通でしょう。



で今の一般的な大阪観光といえば某テーマパークや大阪城、道頓堀などが紹介されていますが、本当に大阪の文化を感じ大阪を楽しむには商店街を歩き地元の人と言葉を交わす事が最大の大阪観光だと感じたのが今回の出張です。



街を歩いている普通のおじさん、おばさんから子供までユーモアあふれ、関東とは全く異なる庶民文化を作っています。


今回は日帰りでしたのでゆっくりとした時間は過ごせませんでしたが、次回はもっと大阪を楽しむために、地元の人と交流をしたいと感じた日でした。


時代が変わってもこの文化は守っていってほしいなと思いますね。