遥か昔、オイルショックというものがありまして、わずかな記憶では親と共にスーパーに紙を求め並んだ記憶がございます。
本タイトルとはずれる余談ではありますが、紙を回収するちり屋というのが落語の中で出てきますが、チリ紙交換というのが昭和まではあったのを記憶しています。これも江戸のちり屋からの流れだったのかと、後年志ん朝の落語を聞くと思いだすのであります。
小学校の頃の教科書では、確か石油は有機物が堆積したもので、あと40年位で枯渇すると書いてあったのを覚えています。(今の教科書では何と説明してるのでしょう?😅)
あれから40年、そろそろ無くなってもいい頃かなと思うのですが、新たな油田が見つかっているからや何やらで、一向に枯渇する様子はありませんね、これ不思議。
確かにガソリン90円台、軽油60円台の平成初期とは違い、それぞれ2倍以上の価格になっていますが、これは世界的に物価が上がったからという事でもあります。
本当に枯渇するなら!
石油の代替エネルギーの実用化はされていない!
という点を見ても、埋蔵量が残り僅かであれば、希少価値という事で10倍20倍になっていても不思議ではありませんね。
そこで疑問に思うのが、本当にプランクトンなどの有機物の堆積したものが石油になったのかという事です。
ここは今まで人類が消費してきた石油の量と感覚的な数億年前から作られてきた有機物の堆積量を天秤にかけた場合、人類が消費してきた量の方が上回っているのではないかと思うのです。
私の感覚が正しければ、石油はその他の要因によって作られているという事になりますが、その後は後日また買いたいと思います。
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