令和6年4月13日と同様に日本が目覚め、動き始めた日が令和6年5月31日。
日比谷公園で何が起こったのか?
意図的に予定を入れなかった訳ではないが、何故か予定が入らなかった日。
天から「日比谷公園に行け」という声が心の底に届いていたのかもしれない。
朝、松本を出て上田駅から新幹線で東京駅、有楽町駅とJRを乗り継ぐ。
有楽町駅から日比谷までは歩いて10分程度、12時過ぎに到着。
開場の時間は12時半だが、日比谷公園の園道には既に4千人程度の人が集まっていた。
日比谷大音楽堂の外で待っていると続々と人が集まってくる。
13時30分、第一部である大決起集会開始。
途中まで大音楽堂に入りきれなかった人用にあったスピーカーの音が消えてしまい、集まった人が見ていたライブ配信をチラ見しながら準備を行う。
その間にも続々と人は集まってきて、大音楽堂の外にも1万人近くが集まってきていた感じだ。
行進の梯団に並んだ人と反対の理由などを聞いたりして暫しの談笑時間。
15時過ぎデモパレード開始。
日比谷公園の西側にある厚生労働省を右手に見ながら銀座へを行進を行う。
銀座の夜の街あたりから沿道の人が増え始める。
何だこの人たちは?といった顔の人がほとんどだ。
街を歩く人は数寄屋橋をピークに鍛冶橋交差点まで減り始めるが、修学旅行の集団にもアピールできたのは良きかな。
鍛冶橋交差点で終点を迎える。
その間約40分程度。
第一梯団に参加したので後続がどれくらいの人数かは把握できなかった。
迎えのために鍛冶橋交差点で待っていると、出発時点では4月13日くらいの2万人弱位程度かと思っていたが5時になってもデモ行進は途切れない。
5時半で日比谷公園からの出発に規制がかかり、残り3梯団がデモ行進が出来ないとの情報が入る。
『どれだけの人が来ているのか?』
4月13日は1.7万人程度と言われているが、今回は前回の倍以上時間がかかり、尚且つまだ出発できていない人たちもいるということは、少なくとも4万人以上、5万人が参加したとしてもおかしくはない数字だ。
栃木、愛知などの梯団があり、後のインタビューでも日本全国から集まり、海外から戻ってきた人もいるとの事。
4月13日のデモ同様、今回のデモは今WHOで進められているパンデミック条約に反対するデモ行進だ。
簡単にいうと、コロナ禍の様なパンデミックが起きた場合にWHOを主体とした組織が大きな権限を持つという条約です。
大きな権限とは行動制限や💉を強制的に打たせるようなものと言われていますが、内容が秘密裏に行われている点が怪しいとしか思えないし、その秘密裏に行われていることに反対をするデモでもあったのです。
今、世界や日本では気付いた時には既に遅し、という事が水面下で着々と進んでいます。
今回のデモ同様、大事な事は主要なメディアでは全く報道されません。
しかし、今回のデモは月末、週末の平日金曜日にも関わらず前回の倍以上に人数が集まりおかしな方向へと進んでいることを阻止しようとした【目覚めた日本人】が集まった結果です。
前回の倍以上といっても目標の10万人には遠く及ばず。
この歩みを止めないためにも6月か7月にも予定されるようです。
眠った日本人よ、目覚めるのは何時でしょう。
人の命などなんとも思わない、という人種はいるのです。
世界の人全員が良い人!という性善説では生き残れない時代になってしまったのです。
家族の命を守るためまずは知ること、そして行動する事。
テレビを信じるな、新聞を信じるな。
さあ、目覚める時が来ましたよ、日本人。
※今回の内容が分からない、理解できないが興味があるという人は是非予約の上ご来店下さい。(ストーブを買わないでも結構です😆)
理解できている範囲で丁寧にご説明します。
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